映画の描いたスペイン現代史「ミツバチのささやき」(その2) 〜画面上に見える時代の記号〜 

 物語の背景に戦争の存在があるとはいえ、この作品自体はもちろん戦争映画ではありません。戦争を直接に感じさせるものといえば、主人公アナの母親が「誰か」に向けてしたためている手紙の文言に「内戦」の語が出てくる*1のと、映画の後半に登場する脱走兵(?)の存在くらいでしょうか。ただ、さり気ない部分に「内戦後のスペイン」を感じさせる記号がいくつか登場しているのも確かです。たとえば映画の冒頭、アナの住む町の建物の壁に、かなり目立つ形で描かれた落書きのような記号が映るカットがあります。これは、内戦後のスペインで唯一の公認政党となったファランヘ党の紋章、束ねられた矢に他なりません。

↑壁の落書き。ビデオ画面を直接写メした物なので画質がアレですが。

ファランヘの紋章
 主人公の通う学校の、教室の黒板の上に飾られている十字架もそうでしょう。1931年、王政が廃止され共和政が導入されたスペインでは、左右の政党が交互に政権を取っていましたが、左派は一貫して教会の権力を低下させる政策を進めていました。南欧カトリック教国であるスペインでは、20世紀も半ばに差しかかろうとしているこの時代に至っても、教会勢力が世俗の権力(とりわけ支配階層や右派勢力)と結びついていたました*2。その影響力は、当然教育の現場にも及んでいましたから、左派の政治家たちは多数の「進歩的」な教師を教育の現場に送り込みました。内戦勃勃発当時、教育現場の宗教色は幾分かは薄められていたはずです *3
 特定の時代を物語の舞台に設定している以上、これらの記号は意識的に画面に盛り込んでいるものと判断して差し支えないものと思います。しかしながら、そういった背景はみな「大人の世界の事情」に属するもので、映画の開始時いまだ「子供の領分」の中にいた主人公アナにとっては、遠い世界の物語でしかありません。しかし、それは同時に確固たる現実として、アナのすぐ隣に存在している物でもあるのです。劇中、アナはいくつかの窓を通して「子供の領分」の外側を覗き見ることになりますが、物語の終盤、この「大人の世界の事情」が非常に大きな衝撃を伴って彼女の前に姿をさらすことになります。

*1:誰に向けての手紙なのかは最後まで明らかにされませんが、相手とは内戦によって引き裂かれたであろうことが示唆されています。

*2:これは、いち早く政教分離を成し遂げた隣国フランスとは大きな違いであるといえるでしょう。

*3:もちろん、この目で見てきたわけではないので、中には十字架を掲げ続けていた学校もあったかもしれませんが。